おおざっぱにストーリー解説②
この時点で既にクラヴィアスの心は半信半疑。なにせ復活したキリストを目の当たりにしてしまっているのですから。それでも信じ切れない疑問を弟子たちに問い掛けながら、一行と旅路をともにします。
そこへローマの追手が追いついてきます、元部下の兵士に剣を向けられるとクラヴィアスは弟子たちをかばい「彼らを行かせろ」と一言。
気圧された部下は彼らをそのまま行かせます。もうこの時点でクラヴィアスの心は決まっていたのかもしれません。
ガリラヤにつくとまだそこにキリストの姿はありません。
待つ間、腹をすかせた弟子たちは湖にとめてあった船を(勝手に)出し漁をすることにします。←おいおいw
ですが、魚は一向にかかりません。夜通し漁をしてもスカだった一行、夜が明け疲れ果てて対岸にもどってくると海辺にひとりの男が見えます。
船の持ち主でしょうか「釣れたか?」との問いかけに、弟子のひとりペテロは「ぜんぜん」と。
男が「船の左側に網をおろしてみろ」と。一瞬怪訝な空気になるも、なにかを思いついたように網をおろすペテロ。すると船が大きく傾くほど大量の魚がかかります。全てを察したように嬉々とする弟子たち。船を降りて男に駆け寄る弟子たち。
そう、彼こそキリストその人でした。
とれた魚を囲み再開を喜ぶ一行。そのそばの村(?)で石をなげつけられ村から出て行けと叫ばれている男が見えます。伝染病にかかった患者のよう。皮膚はただれまともに歩くこともできない模様。当時は治療法もなく病気にかかったら誰も触らず助けてもくれない。
魚を一匹手に取り、その男にかけよるキリスト。魚をわたし、その男の顔に触れ優しい言葉をかけるキリスト。
遠くから見守る弟子たちはニンマリ、不思議そうなクラヴィアスに「奇跡が起きる」と。
キリストに触れられた男は「誰も私に触れなかったのに」と驚き、次の瞬間たちあがりもらった魚を手にスタスタと歩いていきます。少し行ったところでこちらを振り返った男の顔はキレイな肌に変わっていてどこにもただれた痕などなくなっていました。
それをみて驚くクラヴィアス。弟子はニヤニヤ。
その夜、弟子たちが寝静まった後、クラヴィアスはひとりキリストの横に座します。
それまでは、拾われた捨て犬が餌をチラつかせても警戒して寄ってこない様な、常に距離をとった態度をとっていたクラヴィアスですが、ようやくここでキリストと言葉を交わします。
この会話の中でクラヴィアスは信じることができない現状を打破しようとしたのでしょうか。
それを察してか、キリストはクラヴィアスにある言葉を投げかけ、それに感銘をうけたかのようなクラヴィア。この瞬間彼の心は完全に動いたのでしょう。
夜が明けるとキリストの姿はなく、弟子たちが名を叫びます。
すると朝日をバックにキリストが丘の上に立ち、朝日の中に消えるとともに眩い光と風がふきすさびキリストの姿は完全消えたのでした。
※映画館で1度みただけなので細かい描写とセリフは間違いがあるかもしれません、あくまでニュアンスで解釈してください。
クラヴィアスの心の変動
この映画のポイントのひとつとして、やはりクラヴィアス目線のストーリー進行であることが大きいと思います。
敵対しているローマ側の人間の目線で描かれその心情の変化を表しているという作風は、キリスト復活劇を描いた過去の作品でも珍しいのでは…?(ボク自身この手の映画を網羅してるわけではないので他にもあるのかもしれませんが)
百戦錬磨の武将として、上司のピラトからも信望厚く命令を忠実にこなしてきたクラヴィアスですが、映画の冒頭でピラトからねぎらいの風呂(温泉?)に招かれたシーンでは、「戦いから離れ、田舎で平安と死のない世界を望む」という言葉をもらしています。
仕事としてその任を全うしつつも、自分の行為に疑問を持ち葛藤し悩み続けている様子。
それに呼応するように、ストーリー終盤・キリストとの対話のシーンで何を望むか問われたシーンでクラヴィアスが口を開くよりも先にキリストがまさに「望むものは?死のない世界か?」とクラヴィアスに投げかけます。
まさに、まさにソレを言い当てられたクラヴィアスは驚愕し、感銘をうけた、といった表情。彼はここで悟り、すべての疑問が払拭されたのだと感じました。
かずかずの奇跡を目の当たりにし、自分の思いすらも言い当てられてしまったのですから。
またその過程でローマ軍の追手をやり過ごすシーン。クラヴィアス自身だけでなくまわりの人間からしてもその心変わりを見て取れるシーンです。
部下のマルフォイがクラヴィアスに剣を向けるも体術で圧倒。もちろんマルフォイはクラヴィアスに勝てないということも察知したでしょうが、それだけじゃなく「あれほどローマ帝国に忠義を尽くしていた上官がこれほどまでに心変わりした」という事実に気圧された、ように見えました。
クラヴィアスは「彼らを行かせろ」と忠告すると、再びマルフォイに剣を握らせますが、マルフォイは弟子たちにちょっかいは出さず素直に彼らを行かせるのでした…。
キリストが消えた後、弟子たちは散り散りになって各地で布教を行っていくことになります。ペテロはクラヴィアスに一緒に来いと誘いますが、クラヴィアスはこれを断ります。
明確に表現されなかったように思うのですが、クラヴィアスはこの後ローマ軍に帰ったのでしょうか…?
映画の冒頭部分で荒野に立ち尽くすクラヴィアスが描かれています。
荒野の宿屋?料理屋?のようなところで店主に「あんた司令官かい?」と問われて回想にはせるところから物語がスタートしますが、映画の最後で再びこのシーンに戻ってきます。
この時点ではまだ戻りついていないのか?それともローマ軍に戻り付きその後軍を出て彷徨っているのか。ボクの理解力ではそこまではちょっとわかりませんでした。
ただ、司令官か?と聞かれたクラヴィアスは司令官の証である指輪をはずし代金がわりに置いていくのでした。
すでに彼の心はキリストとともにある、ということなのでしょう。
あとがき
[rating]
本国公開においてのレビューは若干低めで、シニカルな批評をされてしまっているようですが、「宗教映画」というジャンルではなく古典のリメイクとしてみたらフツーに面白いし、とくべつこき下ろすようなマイナスポイントはないです。
予算云々については知りませんが、絵的にチープとかセリフが陳腐とかっていう安さも全然ないです。フツーに良い。
信仰心とか宗教観みたいなのを加味してみなきゃならない、となるとなかなかハードルが高いしクリスチャンじゃない人からすればちょっと如何わしくも思えてしまうけれど、記事の冒頭でも書いたように宗教観や知識がなくても観られる作風に仕上がっています。
(とは言ってもこの映画を見よう、っておもって見るのはクリスチャンの方が多いでしょうね。もしくはマルフォイファン)
ローマ軍の戦闘シーンなどで若干の微グロ表現がありますが、「パッション」のような生々しく痛々しい表現はあまりないのでそこら辺もご安心下さい。
変に気負いせずに観てみるのもアリかと…!
[atogakiend]
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