週末に映画館で立て続けに2本の映画を観てきました。「 復活 RISEN 」と「デッドプール」。
さいきんはもっぱら有料配信かDVDで鑑賞することが多くなっていたのでひさびさの映画館。やっぱあの空間でみる感じは部屋で見るのとは別のゾクゾクがあっていいですね。出かけるのがおっくうだけど、たまには映画館でみるのもいいかも。
今日は「復活 RISEN」をレビューしみてます。(多少ネタバレを含みますのでまだ見てない人はご注意)
ちなみにもう一方の映画「デッドプール」のレビュー記事はコチラ。
復活 RISEN とは
配給のソニー・ピクチャーズ主導での企画「クリスチャン映画3作品連続公開」というキャンペーン(?)に乗じて公開されている第1弾映画です。
イエス・キリストが十字架にかけられ復活するまでの3日間を描いた作品。
クリスチャン映画と銘打ってはいますが、別段「宗教映画」色は強くなく、その手の知識がなくてもフツーにみれる作品です。
これまでにもキリストの復活劇を描いた作品は多々公開されてきましたが、近年では「パッション」や「サンオブゴッド」など全国ロードショーされている作品も多く、変に気負いせずに見れるとおもいます。
──イエス・キリストの復活。百人隊長クラヴィアスは、その時何を見たのか…?
聖書に記された「復活」を目撃する。古代ローマの百人隊長の葛藤と闘いを描く《スペクタクル歴史超大作》!
『復活』本日より公開です!https://t.co/R2womiqosa
— ソニー・ピクチャーズ (@SonyPicturesJP) May 28, 2016
ジミに魅力的な俳優陣
まず主演・クラヴィア役の[actor][name]ジョセフ・ファインズ[nname]([altname]Joseph Fiennes[aaltname])[sameus urls=”http://www.imdb.com/name/nm0001212/”][image urls=”//motetai.club/wdps/wp-content/uploads/2016/06/27339026_43995.jpg”][aactor]。
公式では「恋におちたシェイクスピア」が代表作として紹介されているようですね。ボク個人は「エリザベス」「キリング・ミー・ソフトリー」で見たことあるなあ〜…、程度の認識でした。
役者さんの写真を見る限りでは、パッとみ、ちょっと顔のパーツのバランスが悪いような気がするんですが映画の中では男らしい感じ適役、って感じがしました。
特徴的な外見じゃなく、見ていて気が散らないので主役に適任て感じですね。
この映画のみどころのひとつ。
クラヴィアスの部下として登場するのがハリー・ポッターシリーズでお馴染みのマルフォイを演じた[actor][name]トム・フェルトン[nname]([altname]Tom Felton[aaltname])[sameus urls=”http://www.imdb.com/name/nm0271657/”][image urls=”//motetai.club/wdps/wp-content/uploads/2016/06/053d211d0f7f1cc80e3ec5b7e1030ce7.png”][aactor]。
お偉いさんの息子という地位をつかって、クラヴィアスの部下に抜擢された能なしかとおもいきや、最初のあたりでは忠実にクラヴィアスに尽くそうとしています。結果的にあまり大して役にはたっていませんが…。
物語後半で立場を変えたクラヴィアスに対し、彼が見せたのは忠義なのかそれとも…。
トレーラー動画などではキリストの顔は移されていませんが、本編ではフツーに役者さんが演じ、顔も出てます。
キリスト役を演じているのは[actor][name]クリフ・カーティス[nname]([altname]Cliff Curtis[aaltname])[sameus urls=”http://www.imdb.com/name/nm0193295/”][image urls=”//motetai.club/wdps/wp-content/uploads/2016/06/60a140372fd0add99910e49b87af7f39.jpg”][aactor]。海外ドラマなどでけっこうちょくちょく見かける俳優さんです。人種的な抜擢からかアメリカドラマでは中東系の諜報機関やテロ関連の人物として登場することも少なくなかったと記憶しています。
この映画自体、全編英語のアメリカ映画なのでクリフがキリストとして登場した瞬間は若干作為的なモノを感じてしまいました。
が、本編を見終えるとそれは払拭されました。少なくとも人種的なアレは内包していないと感じました。
おおざっぱにストーリー解説①
以下ネタバレです注意
流れをおおまかに説明すると、
イエス・キリストが布教で民衆の支持を集めていた紀元後、地中海沿岸の国々を統治していたローマ帝国はユダヤ地方で民を先導するキリストを危険とみなし十字架にかけて処刑することにします。
しかし、キリストは自分の復活を予言していたため、キリストの弟子たちが十字架刑の後、遺体を盗み出して「復活した!」と騒ぎ立てるのではないか?それを信じた民衆はローマにとって危険では?とローマのピラト総督は考えます。
それを阻止するため、ピラトは部下の兵隊長・クラヴィアス(この映画の主人公)に命じて遺体の埋葬地を見張るように命じます。
しかし結果的にキリストは復活し、遺体も消えてしまいます。責任を問われたクラヴィアスは必死にキリストの遺体を探し、弟子たちを尋問しますが一向に進展がありません。
そんな中、街で捕まえたキリストの信奉者からの情報で弟子たちがとある民家で集まっているという情報を得たクラヴィアス。
意を決し踏み込むとそこには、復活したキリストが弟子たちと食卓を囲んでいました。眼前の光景を信じられないクラヴィアスを迎え入れるキリストと弟子たち。
弟子たちと談笑の最中、唐突にキリストの姿が消えます。
驚く弟子たちとクラヴィアス。弟子の一人が言います「主はガリラヤで再開しよう」と言っていたと。そそくさとガリラヤ(地名)へ向かう弟子たち。クラヴィアスもそれを追うことに。
一方、クラヴィアスから一向に連絡のないローマ軍はクラヴィアスが踏み入った民家へやってきます。が、そこには誰の姿もなくクラヴィアスが残した「追わないで欲しい」との書き置きが。
クラヴィアスが裏切ったと踏んだピラトは追手を放ち、クラヴィアスと弟子たちを探させます。
そのころ弟子たちはガリラヤを目指し、距離をおいてそれを追いかけるクラヴィアス。
何日もかけて、飲み食いもままならないクラヴィアスのもとへ、とある夜、弟子の一人・ペテロが飲水を届けに来ます。
夜中に近づいてきたペテロを警戒し、彼の足を剣で切りつけるクラヴィアス。「飲水を持ってきただけだ!」と叫ぶペテロ。痛そう…。幸い大事には至らなかったようで足を引き釣りつつ、クラヴィアスを弟子たちの野営地へ招きます。おそるおそる加わるクラヴィアス。
おおざっぱにストーリー解説②
この時点で既にクラヴィアスの心は半信半疑。なにせ復活したキリストを目の当たりにしてしまっているのですから。それでも信じ切れない疑問を弟子たちに問い掛けながら、一行と旅路をともにします。
そこへローマの追手が追いついてきます、元部下の兵士に剣を向けられるとクラヴィアスは弟子たちをかばい「彼らを行かせろ」と一言。
気圧された部下は彼らをそのまま行かせます。もうこの時点でクラヴィアスの心は決まっていたのかもしれません。
ガリラヤにつくとまだそこにキリストの姿はありません。
待つ間、腹をすかせた弟子たちは湖にとめてあった船を(勝手に)出し漁をすることにします。←おいおいw
ですが、魚は一向にかかりません。夜通し漁をしてもスカだった一行、夜が明け疲れ果てて対岸にもどってくると海辺にひとりの男が見えます。
船の持ち主でしょうか「釣れたか?」との問いかけに、弟子のひとりペテロは「ぜんぜん」と。
男が「船の左側に網をおろしてみろ」と。一瞬怪訝な空気になるも、なにかを思いついたように網をおろすペテロ。すると船が大きく傾くほど大量の魚がかかります。全てを察したように嬉々とする弟子たち。船を降りて男に駆け寄る弟子たち。
そう、彼こそキリストその人でした。
とれた魚を囲み再開を喜ぶ一行。そのそばの村(?)で石をなげつけられ村から出て行けと叫ばれている男が見えます。伝染病にかかった患者のよう。皮膚はただれまともに歩くこともできない模様。当時は治療法もなく病気にかかったら誰も触らず助けてもくれない。
魚を一匹手に取り、その男にかけよるキリスト。魚をわたし、その男の顔に触れ優しい言葉をかけるキリスト。
遠くから見守る弟子たちはニンマリ、不思議そうなクラヴィアスに「奇跡が起きる」と。
キリストに触れられた男は「誰も私に触れなかったのに」と驚き、次の瞬間たちあがりもらった魚を手にスタスタと歩いていきます。少し行ったところでこちらを振り返った男の顔はキレイな肌に変わっていてどこにもただれた痕などなくなっていました。
それをみて驚くクラヴィアス。弟子はニヤニヤ。
その夜、弟子たちが寝静まった後、クラヴィアスはひとりキリストの横に座します。
それまでは、拾われた捨て犬が餌をチラつかせても警戒して寄ってこない様な、常に距離をとった態度をとっていたクラヴィアスですが、ようやくここでキリストと言葉を交わします。
この会話の中でクラヴィアスは信じることができない現状を打破しようとしたのでしょうか。
それを察してか、キリストはクラヴィアスにある言葉を投げかけ、それに感銘をうけたかのようなクラヴィア。この瞬間彼の心は完全に動いたのでしょう。
夜が明けるとキリストの姿はなく、弟子たちが名を叫びます。
すると朝日をバックにキリストが丘の上に立ち、朝日の中に消えるとともに眩い光と風がふきすさびキリストの姿は完全消えたのでした。
※映画館で1度みただけなので細かい描写とセリフは間違いがあるかもしれません、あくまでニュアンスで解釈してください。
クラヴィアスの心の変動
この映画のポイントのひとつとして、やはりクラヴィアス目線のストーリー進行であることが大きいと思います。
敵対しているローマ側の人間の目線で描かれその心情の変化を表しているという作風は、キリスト復活劇を描いた過去の作品でも珍しいのでは…?(ボク自身この手の映画を網羅してるわけではないので他にもあるのかもしれませんが)
百戦錬磨の武将として、上司のピラトからも信望厚く命令を忠実にこなしてきたクラヴィアスですが、映画の冒頭でピラトからねぎらいの風呂(温泉?)に招かれたシーンでは、「戦いから離れ、田舎で平安と死のない世界を望む」という言葉をもらしています。
仕事としてその任を全うしつつも、自分の行為に疑問を持ち葛藤し悩み続けている様子。
それに呼応するように、ストーリー終盤・キリストとの対話のシーンで何を望むか問われたシーンでクラヴィアスが口を開くよりも先にキリストがまさに「望むものは?死のない世界か?」とクラヴィアスに投げかけます。
まさに、まさにソレを言い当てられたクラヴィアスは驚愕し、感銘をうけた、といった表情。彼はここで悟り、すべての疑問が払拭されたのだと感じました。
かずかずの奇跡を目の当たりにし、自分の思いすらも言い当てられてしまったのですから。
またその過程でローマ軍の追手をやり過ごすシーン。クラヴィアス自身だけでなくまわりの人間からしてもその心変わりを見て取れるシーンです。
部下のマルフォイがクラヴィアスに剣を向けるも体術で圧倒。もちろんマルフォイはクラヴィアスに勝てないということも察知したでしょうが、それだけじゃなく「あれほどローマ帝国に忠義を尽くしていた上官がこれほどまでに心変わりした」という事実に気圧された、ように見えました。
クラヴィアスは「彼らを行かせろ」と忠告すると、再びマルフォイに剣を握らせますが、マルフォイは弟子たちにちょっかいは出さず素直に彼らを行かせるのでした…。
キリストが消えた後、弟子たちは散り散りになって各地で布教を行っていくことになります。ペテロはクラヴィアスに一緒に来いと誘いますが、クラヴィアスはこれを断ります。
明確に表現されなかったように思うのですが、クラヴィアスはこの後ローマ軍に帰ったのでしょうか…?
映画の冒頭部分で荒野に立ち尽くすクラヴィアスが描かれています。
荒野の宿屋?料理屋?のようなところで店主に「あんた司令官かい?」と問われて回想にはせるところから物語がスタートしますが、映画の最後で再びこのシーンに戻ってきます。
この時点ではまだ戻りついていないのか?それともローマ軍に戻り付きその後軍を出て彷徨っているのか。ボクの理解力ではそこまではちょっとわかりませんでした。
ただ、司令官か?と聞かれたクラヴィアスは司令官の証である指輪をはずし代金がわりに置いていくのでした。
すでに彼の心はキリストとともにある、ということなのでしょう。
あとがき
[rating]
本国公開においてのレビューは若干低めで、シニカルな批評をされてしまっているようですが、「宗教映画」というジャンルではなく古典のリメイクとしてみたらフツーに面白いし、とくべつこき下ろすようなマイナスポイントはないです。
予算云々については知りませんが、絵的にチープとかセリフが陳腐とかっていう安さも全然ないです。フツーに良い。
信仰心とか宗教観みたいなのを加味してみなきゃならない、となるとなかなかハードルが高いしクリスチャンじゃない人からすればちょっと如何わしくも思えてしまうけれど、記事の冒頭でも書いたように宗教観や知識がなくても観られる作風に仕上がっています。
(とは言ってもこの映画を見よう、っておもって見るのはクリスチャンの方が多いでしょうね。もしくはマルフォイファン)
ローマ軍の戦闘シーンなどで若干の微グロ表現がありますが、「パッション」のような生々しく痛々しい表現はあまりないのでそこら辺もご安心下さい。
変に気負いせずに観てみるのもアリかと…!
[atogakiend]
[links typeof=”movie” name=”risen”]