「怒」の字が意味していたものは
見終わった感想としてはとにかく「すさまじかった」としか表現できない。
色んな感情が押し寄せるシーンの連続。劇場で観ていて142分という少し長めの尺もまったく気にならない、中だるみなく最初から最後まで惹きつけられてしまった。
個人的にイチバン理解しづらかったのが森山未來演じる、田中の心理。
知人の証言から「人を見下すプライドの高い人間性」が伺えたわけだけど、それ故に犯行に及び、泉を見殺しにし、それを面白おかしく嘲笑したのか?何故?単純に他人の不幸を面白がれるタイプだったのだろうか。そういうタイプの人間が現代にはたくさんいるだろうけど、そのことへの啓発?
彼が感じていた「怒」とはいったい何をさしていたのだろう?
泉が犯されている様を見て笑っていたと語る田中だが、その実はどうなのだろう。
もしかすると辰哉と同じように助けたくともそうできない、もどかしさ、相手への怒り、自分への嫌悪などが渦巻いていたのではないか?
田中をただ単純に人の不幸を笑うだけの「100%悪」という存在で締めくくるんは些か疑問が残る。
彼の中にも葛藤があり苦悩の末、結果的に良い方へ傾くことが出来なかった、と考えると非情に納得できるし、むしろ共感すら覚えるのだ。誰もが、ムカつく相手に「あんな奴死んじまえ!」と思う自分と、より良い社会・世界出会って欲しいと願う自分とが共存しているはずで、田中もまたそうであったのだと思うわけです。
殺人を犯した際も、「女性が生き返ると本気で思い風呂場に連れて行った」というのは衝動から起こした事への後悔の現れにも思える。
作品後半では、「感動」とかいうシンプルに表現できるようなものではなく、なんといっていいかわからない類の感情が激しくゆさぶられるシーンの押収だった。
優馬が直人の真実を知り涙をながすシーンはや、宮崎あおいの泣きの演技も無条件に涙腺をやられてしまった。泉がレイプされるシーンもかなりショッキングで陰惨で、見ながら思わず手にチカラが入ってしまったし。
お話のラストで事件が解決すると、希望とは言えないまでもわずかながら暗雲が取り払われるのだが、それぞれの問題にハッキリとした答えが出ていないのも象徴的。
現実の世界ではけっして「ハッピーエンドでめでたし」でも「バッドエンドでハイおしまい」でもない。問題を抱えながらその後も人生が続いていくわけだから。
人間関係の難しさ、貧困、沖縄基地問題、LGBTなど原題の日本社会が孕む様々な要素がこれだけ盛り込まれていても、要素過多で散漫になってしまうことなくひとつのお話としてまとめあげられているのは本当に圧巻。
それぞれの要素をテーマとしてひとつひとつの作品として成り立ちそうですらありますから。
その問題すらも、多面的であり、一方からの見方だけではそれが決して本質ではないことも表されていたように思います。
個人的にはその部分はヒジョーにエッセンスだな、と感じました。
あとがき
[rating]
ただただすさまじい作品でした。
単純に「良い作品」と表して良いのかわからない。見終えた時にけっして気持ちのいい作品ではないから。「田中が犯人だった」というストーリーとしての答えは出しつつも、それぞれの問題、想い、憤り、には結果として答えは出ていない。出せない、からだろう。
自分で書いておいてなんですが、
あらすじにおこすために、それぞれの想いを主観的に記してはいますが、きっとそれだけではない複雑な想いがそれぞれに内包されていたはずで、映画を見ながらだと感情移入出来た部分も文字に起こすのがとても難しい。苦笑
悲しみ、驚き、憤り、不甲斐なさ、的確に表すことすらままならない、さまざまな感情が「怒り」として表現されていたのかな…というのが個人的な解釈です。
普段は洋画ばかり観てるボクですが、邦画もこんなに鬼気迫る作品があるのか…!と感じました。くりかえしになりますが、けっして気持ちの良い作品ではありません、ただ観ておいて損はない。そんな作品でした。
https://www.youtube.com/watch?v=HhH9MUwv7AY
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