【映画レビュー】神様の思し召し を観てきた

神様の思し召し

あらすじ

腕利きの外科医・トンマーゾはある日、息子・アンドレアから「神学校に通いたい」という告白を受ける。
勉強の出来が悪いながらも自分と同じく医学の道を進んでいた息子の突然の心変わりに驚くトンマーゾと家族たち。家族は「良いことよね?」とアンドレアの決心を祝福するが、トンマーゾだけはその決心を嘆く。
なぜなら、「超」のつくほどの現実主義者であるトンマーゾにとっては、実態のない「神様」を信仰するなど馬鹿げているからだ。

神様の思し召し 神様の思し召し

彼の急な心変わりの理由を知りたくなったトンマーゾは、ある日出かけるアンドレアの後を追うことに。
娘婿のジャンニと共にアンドレアの後を追うと、彼がたどり着いたのはある神父の説教会であった。若者たちが大勢集うその場に現れたのは無精髭にフランクな物腰でしゃべる神父・ピエトロ。

神様の思し召し

現代的でわかりやすい小話風の説法をとく彼は若者たちからカリスマ的な指示を得ていた。
同行したジャン二すら感化されてピエトロの説教に拍手を送る始末。トンマーゾはこの神父が息子の心変わりの元凶か、と考え彼を調べることに。

ツテをたどりピエトロ神父が実は元受刑者であり、出所後に神父に転向したことを知る。なにか後ろ暗いことを隠し、息子を悪の道に誘うつもりでは…?と邪推し始めたトンマーゾ。
同じ頃、アンドレアは神学校にすすむにあたって2週間の黙想会に出かける事に。彼がいないのをいいことにトンマーゾはピエトロの説教に通いつめ、自ら彼を調査、ピエトロの化けの皮を剥がしてやる、と意気込む。

娘・ビアンカはアンドレアが神学にめざめたことに影響を受け、聖書を読もうと試みるが早々に挫折、かわりにカトリック映画にハマる。
妻・カルラは神学に目覚めたきっかけをアンドレアに問うと、母のように目的のない人生を歩みたくない、と衝撃的なことを言われてしまい落ち込む。夫・トンマーゾと結婚しただ日々を過ごすだけの自分の人生に嫌気がさしたカルラはトンマーゾと距離を置き、人生の意味を求めて学生政治運動に参加するようになる。

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アンドレアのいない間、ピエトロの説教会に通いつめ、”悩みを抱える男” を演じて救いを求めるフリでピエトロに近づこうとするトンマーゾ。
ピエトロはトンマーゾの悩みを解決するために仕事を紹介したり、家庭訪問して悩みを聞こうと真摯に向き合う。困ったのはトンマーゾ、本名を隠し、恵まれない家庭環境にあると話していた(もちろんウソ)ため、彼はジャンニや職場のローザに頼んで家族のフリをしてもらう。

そうして、なんとかピンチを切り抜けたトンマーゾだったが、アンドレアが帰宅し彼の部屋に行ってみるとそこにはピエトロ神父が招かれていた…!
一瞬でウソがバレ、さらにそれを察したピエトロ。ウソをついていたことを家族にバラされたくなかったら…、となかば脅し文句で自分の教会の修繕作業を1ヶ月間、手伝わせることにする。受け入れるしかないトンマーゾ。

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修繕作業を手伝うことで否応なくともにいる時間が増える二人。
時間を過ごす中でトンマーゾは徐々にピエトロの人となりを知っていくこととなる。ある日、ピエトロのお気に入りの丘に連れて行かれたトンマーゾ、アンドレアの心変わりのこと、元受刑者であることをピエトロに尋ねると彼は恥ずかしげもなく真実を語り、神学と出会って人生が変わった、と語る。
最初はピエトロを疑ってかかっていたトンマーゾだが、その思いは薄らいでいく。
同時にカルラとの夫婦関係、ビアンカとの親子関係の悩みも抱えていたトンマーゾだが、彼の心中に変化が現れたことによって、それまでの頑なな言動を辞めそれぞれと関係修復を測りだす。

そんなある日、トンマーゾは息子・アンドレアが女の子と親密になっているシーンを目撃してしまう。
取り繕うアンドレアの口から「神学」の道に進むことを考えなおした、と聴かされる。黙想会に参加し、人生を考えた時に「やはり違うかも」と感じたアンドレアは、そのことをピエトロにも相談していた。
つまりピエトロは全部知ったうえで、トンマーゾを修繕作業に参加させていた。してやられた!という表情と共にどこか笑みを浮かべるトンマーゾ。

神様の思し召し

約束の1ヶ月がすぎ、トンマーゾはピエトロから修繕作業参加の終わりを告げられる。まだ作業を残していることを少し心残りにしながらもトンマーゾはピエトロに別れを告げる。
以来、家族間の関係やローザを含む周りの人間への物腰が穏やかになったトンマーゾ。
ピエトロと関わったことで良い影響があったのは明らかだった。

その矢先、ピエトロ神父は交通事故に遭い重体となって病院に運ばれる。
運ばれた先はトンマーゾの務める病院。彼は脳に重大なダメージを受け、トンマーゾの同僚が手術にあたることに。たくさんの信徒たちも病院におとずれ彼の回復を願う。

複雑な表情のトンマーゾはひとり、病院をはなれピエトロの教会へ。
残していた修繕作業を無言でもくもくとこなし朝を迎える。例の丘へひとりやってきたトンマーゾはピエトロの語った「木になっている梨が落ちるタイミングすらも全て神の意志だ」という言葉を思い出す。その瞬間見据えていた木から梨の実が落ちる。
トンマーゾはそれを見てフッと笑い、何かを悟ったかのように丘を歩いて行くのだった。。。

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感想&あとがき

[rating]

しょうじきなところ、見る前はさほど期待せずに観覧したのですが「予期せず良作にめぐりあった」という印象。
小気味良いテンポと陰鬱さのまったくない画調、イタリア映画らしいこざっぱり感とパンチの聴いたコメディ要素がとても良い塩梅。登場する人物たちのキャラクターも濃すぎず薄すぎず(一部は濃いですけど笑)ちょうどよいです。

ただひとつ、ボクがひっかかったのはラストの顛末。
事故にあったピエトロ神父の安否、けっきょく彼がどうなったのかはハッキリと明示せず。(トンマーゾの携帯がなったのは、はたして吉報だったのか訃報だったのか…)
トンマーゾの後ろ姿を追う映像と共にエンドロールが流れ、その後に結末を用意してそうな雰囲気を残しておきながら、結局クレジットが終わったらそのまま終幕…「終わりかよっ!!」って感じになっちゃったのが唯一残念なところでしたね。。

極めてポジティブに解釈するなら、ピエトロ神父の安否がどちらにせよ、あの瞬間のトンマーゾの心中は、既に「神へ祈りを捧げている」スタイルに変化していた、というところがエッセンスなのかもしれません。
リアルに改宗する人の “その瞬間” ていうのはああいう感じなのかも?と考えれば、あれはあれでリアリティ、かな、と。

少しの物足りなさはありますが、悪い点がある作品ではないので気軽に見る1本としてはオススメかも。

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